2021-07-29 第204回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第2号
また、三月、一月、年越しのピークを迎えた後のものでは、もうあれは急速な拡大を迎えたということで、対策本部におきまして五つの柱から成る総合的な対策を決定をし、それに従って実施をしてきたところでございますし、ゴールデンウイークを過ぎたピークを踏まえて、六月十七日におきまして六月二十一日以降における取組を決定をし、ワクチン接種はもとより、医療提供体制の更なる強化等に取り組んでいるところでございます。
また、三月、一月、年越しのピークを迎えた後のものでは、もうあれは急速な拡大を迎えたということで、対策本部におきまして五つの柱から成る総合的な対策を決定をし、それに従って実施をしてきたところでございますし、ゴールデンウイークを過ぎたピークを踏まえて、六月十七日におきまして六月二十一日以降における取組を決定をし、ワクチン接種はもとより、医療提供体制の更なる強化等に取り組んでいるところでございます。
年越し大人食堂相談会や様々な相談会に具体的に行きました。生きたくない、死にたくないけど死んでしまう、生きたいけれども生きられない、地面の底が抜けるような人たちに実にたくさん会ってきました。 今、憲法改正論議をしているときでしょうか。憲法二十五条が保障する健康で文化的な最低限度の生活の保障、憲法十三条が保障する個人の尊重とそして幸福追求権などがまさに侵害をされている。
年末、年越し大人食堂、派遣村や、大久保公園、年末の相談会やいろんなところにも行きました。生活保護、人々の生活を支援するようにやっぱりもっと変えなければということを思っております。 生活保護なんですが、資料をお配りしましたが、生活保護、生活保護を受けようとしても、要件が厳しいことや扶養照会を避けたいといった理由で申請したくてもできないという現場の声を本当に聞きました。
人口二千五百一人の東成瀬村では、村長さんいわく、年越し前に雪下ろしを二回もやったのはまずなかったことであるとおっしゃっていました。自衛隊員が三日間屋根の雪下ろしをやってくださって大変感謝をしているということで、感謝状を持参したところ、連隊長が、自分たちが帰った後もまだ雪が降って大変気の毒に思ったと涙ぐんでくれたとおっしゃっていました。
リーマン・ショックの際の年越し派遣村ができるような状況は防いでおりますけれども、こうした日本経済、国民の生活が大変であることには変わりがありません。 令和三年度の予算の成立がまず何よりも重要な景気対策になるとは思いますけれども、私は、昨年の四月以降の機動的な補正予算、行われましたが、こうしたことも含めて、景気対策には万全を期していく必要があると考えますが、西村大臣の御決意を伺います。
そして、十二月の二十九、三十日、一月の二日には、労働弁護団の皆さんのお呼びかけで、幅広い労働組合が協力をして、年越し支援・コロナ被害相談村を開催いたしました。相談に来られた方は、どちらの取組でも、二十代から五十代までの働き盛りの方がほぼ七割、女性が二割となりました。相談村に相談に来られた方のうち、約三割は所持金が千円未満の方でした。
あるいは、年末年始に大久保公園というところで年越しコロナ相談村というのを開催しました。ここにもたくさんの外国人労働者、技能実習生も含めて来ました。それから、移住連、鳥井さんのところの移住連とキリスト教の団体が一緒に月一回ほどベトナム人の実習生の相談会やっていますけど、ここにもたくさんのコロナの関係の相談が来ています。 一番、一番かどうかは分からないですけど、多いのはやっぱり解雇ですね。
リーマン・ショックのときにも、私、年越し派遣村をやりましたけれども、もう本当に深刻な事態と思います。 そこで、この住居確保給付金についての予算、給付額、給付件数はどうなっているのかということと、最長で九カ月までとなっている支給期間を延長すべきじゃないかと思いますが、いかがですか。
○山井委員 二〇〇九年年末、長妻厚労大臣のとき、年越し派遣村というのでやって、ことしの年末もそういうことが起こりかねませんので、ぜひとも今のこともQアンドAにまた書いていただければと思います。 それで、最後、時間がないので二つ質問をセットでしますが、年末年始、これから失業、倒産、解雇がふえかねません。
寒い冬が訪れようとしていますし、間もなく年越しを迎えようとされています。 内閣府にお尋ねします。 被災者の孤立防止を図る上で、仮設住宅、建設仮設住宅における住民のコミュニティー、あるいは自治会の意義、集会所の果たす役割等について教えてください。
いっとき、年越し派遣村というのがありました。あれを超えるような、この年末年始、大変な状況になるということを、私たちは真剣に、そして強い危機感を持って感じています。ぜひ、予備費を早期に活用してこうした皆さんの下支えをしていただきたいというふうに強く求めておきたいと思います。 もう一点。
この派遣制度をつくって規制緩和して拡大してきたこの間の歴代政府の責任を考えれば、まさにこういうときに、あのリーマンのときの派遣切り、年越し派遣村、あれを絶対にもう一回起こさせてはいけないということでこの間努力してきたはずです。今何とか踏ん張っていただいている。
特に、今回は、年越し派遣村みたいな、そのときはたしか厚労省の講堂を使ったかと思いますけれども、ああいうところで集団での宿泊ということは多分できないので、個室対応が必要になってくる。こういう方々に対してどのように住居を確保されるのかということについてお聞きしたいと思います。
年越し派遣村があったのは二〇〇八年の十二月末からお正月にかけてです。十二月三十一日の夜は、私は厚生労働省の講堂におりました。大村副知事が来てくれて、そして、当時は舛添大臣です。どこにも行き場がない人たちは、大みそかの夜、厚生労働省の講堂を開放してもらったので、凍えないで、そこでみんな寝たんですよね。たくさんの人が寝ておりました。
したがって、年越し派遣村のような事態が発生しないとは誰にも言い切れないというふうにそもそも思っていました。それに加えて、今回の新型コロナウイルスによって解雇や廃業が続けば、市、町にはその失業した労働者が増えてくるという危険があるというふうに思います。
それこそ、日比谷公園には、仕事とそれから住む場所を同時に失ってしまった方々が年越し派遣村というような形で大勢集まった、こんな大変ひどい状況がございました。 ただ、それでも、欧米諸国に比べて、日本の経済的ダメージは比較をすれば浅かったのではないのかというふうにも言われておりますが、それは、そのとき、日本の金融機関がある種、周回おくれで、サブプライムローンに余り手を出していなかった。
ある炊き出しの列にスーツ姿で並んでいた男性、大きなリュックを背負い、紙袋を両手に抱え、ぱんぱんになったスーツケースを転がし、炊き出しの年越しそばを手にした途端、バランスを崩して転んでしまったのですが、手にしていた年越しそばだけはこぼれないように耐えていました。
これが実際に発効、早ければ年内、年明けぐらいにもということでやりますと、日米協議は恐らく年越しになると思うんですが、そういう中で現実の盾とするためには、まずは発効というのは当然だと思います。
例えば、二〇〇八年から二〇〇九年にかけては派遣切りの問題が起こって日比谷公園では年越し派遣村も行われましたけれども、そのときに派遣村に駆け込んできた方の多くは、住み込みで働いていた方、派遣会社が用意していたマンションやアパートに暮らしていた方ということで、この問題についてもやはり住まいの貧困の問題というふうに考えることができるんではないかなというふうに思っております。
そこで、二〇〇六、七年頃から貧困問題を可視化する、目に見えるようにするというキャンペーンに取り組み始めまして、その後、年越し派遣村もあって、今では、日本国内には貧困問題存在しないというふうにおっしゃる方はもうほとんどいなくなったと言っていい状況だろうというふうに思います。
○田村(貴)委員 被災地の方は、この災害の中で年越しをし、新年を迎えていくわけです。本当に、将来に向けて、もう不安でしようがない。そして、そこに光を当てるのは、やはり政治と行政の仕事であると思います。対応策の抜本的な強化を求めて、きょうの質問を終わります。 ありがとうございました。